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【ほのぼの寿司職人!?】

オマエはいつも、
何を見て歩いているんだと言われそうですが、
また、そこはかとなくおかしなものを見つけてしまいました。
とある回転寿司店のPOP。
これはいったいどなたなのでしょうか?
少なくとも私には寿司職人には見えないんだけどな〜(爆)。
ほのぼのした人の良さは漂ってきますが、
魚の鮮度がやや心配になってくる、
とてものんびりしたご尊顔でございます。
とゆーか、お寺にいそうな感じがしないでもない。
有名な寺の修学旅行用リーフレットにありそうな顔です。
ありがたいお顔ではあるんだけれどもね。
ところで寿司職人の顔の、寿司職人たる「らしさ」は、
どこで決まるのでしょうね?
人の良さだけでは、
美味しさの「確かさ」に結びついていかないので、
ある程度の厳しさというか、精悍さは必要なように思います。
ですが、それが前面にたっていても、
やはりダメなんですよね。
うちの近くに1人3万円はみないと楽しめない寿司屋がありますが、
そこの主人は40歳代の寿司職人としては、
いずれ真っ当にいけば、当代の名人といわれる人であると思います。
その目利きの良さや腕の確かさ、
なにより、そこでしか味わえない美味しさは、
多くの人が認めるところなのでしょうが、
私は二度とごめんだったり。
良い料理人には、料理の懐の深さに通じるヤマっ気や、
味を左右する瞬間的な判断に関わる、ある程度の気短さは必須ですから、
匂い立つ気性の荒さの「ような」ものは、
超一流の人ほど持っているものだと思います。
ですが、それが「闘気」としてカウンターの向こうから、
客席に「叩きつけられる」のでは、こちらは心から安らげません。
これでどうだ!という寿司では、それは自己満足でしかありません。
私も真似事ていどには料理をしますから、
料理が真剣勝負という考え方自体は理解できることなんですが、
それは自分自身の内側でもつべきことがらです。
口元こそにこやかでも、目の底が笑っていないのでは、
やはり人は良い気分にはならないものです。
妙な例えですが、北斗の拳のラオウが、
殺気のオーラ全開で眼前で寿司を握っていると思ってもらえば、
わかりやすいかと。
そんなわけで、案外、
人をくつろがせる寿司職人の顔は、
頼りないくらいでちょうど良いのかもしれませんね。
もちろん、腕が良くなければまったくお話にならないんですけども。
お後がよろしいようで。
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