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徳川慶喜公の墓 @ 歴史探訪・谷中墓地(谷中)

2007 - 07/20 [Fri] - 19:56

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所用のついでに谷中墓地の一角にある、
徳川慶喜公の墓所に立ち寄りました。
所用のついでにおまいりされちゃあ、
最後の将軍の価値もあったものではありませんが、
幕臣、新撰組、会津藩びいきとしては、
思うことはいっぱいありますものね。

徳川慶喜は朝廷に大政奉還をした人ということと、
なによりも、
味方をおいて大阪から海路で逃げちゃったという、
イメージが定着していますが、
昨今定着している弱腰像よりも、
剛の者だったことをしめすエピソードが多く、
まだまだ研究の価値のある人物ではあるのだと思います。

ことにユニークなのは、
手裏剣の達人だったというエピソードかもしれません。
一般に貴人は儀式をのぞいて、
「大刀」を手にすることはありませんから、
護身術、身だしなみとしてたしなんでいたと考えられますが、
大政奉還後も手裏剣の練習をしていたということなので、
慶喜の秘めたる想いがそこにあったと考えたいところですよね。
どうしても。

慶喜の少年期は、かなりやんちゃなはねかえりだったようで、
教師役の坊主に怒られると、
あべこべに打ち据えてしまったりとか、
「敵襲だ〜!」とか「火事だ〜」とか叫び回る、
かなり迷惑な遊びもしていたようです。

お灸くらいの罰にはまったくへこたれず、
座敷牢にいれられても屈しませんでしたが、
座敷牢で飯抜きには折れたというところに、
その後の何かが象徴されているかもしれません。

そして、ここにも手裏剣が出てくるのですが、
そんなやんちゃな少年期には、
猫をしばり、木に吊るして「稽古」をしていたそうです。
現代とは残酷の概念が違いますから、
一概に批判はできませんし、
私は批判するつもりもありません。
ですが、猫好きの方の慶喜さんを見る目はかわるでしょう(笑)。

晩年は趣味人として生きた慶喜は、
書の腕前も幼少からたしかなものでしたが、
現在残されている慶喜の書を見ると、
したたかな剛の者としての顔がしっかりとうかがえます。
そこには弱腰さなど微塵もありません。
慶喜の「あの行動の意味」は、
これからも検証される余地があるようです。
手紙一枚でてくるだけで、
多くのことがらは歴史上の評価もかわる性質のものなのです。

徳川幕府の終焉の象徴だった最後の将軍は、
その後、明治の御代も生き抜き、
大正2年(1913年)に亡くなりました。享年77歳。
異論もあるとは思いますが、
託されたものを踏まえたうえで、
簡単に死ぬことはできない身であるということを、
理解した上での生き方だったのではないでしょうか。
たぶんに、「殿様的」ではあるんですけれども。

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