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徳川慶喜公の墓 @ 歴史探訪・谷中墓地(谷中)

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所用のついでに谷中墓地の一角にある、
徳川慶喜公の墓所に立ち寄りました。
所用のついでにおまいりされちゃあ、
最後の将軍の価値もあったものではありませんが、
幕臣、新撰組、会津藩びいきとしては、
思うことはいっぱいありますものね。

徳川慶喜は朝廷に大政奉還をした人ということと、
なによりも、
味方をおいて大阪から海路で逃げちゃったという、
イメージが定着していますが、
昨今定着している弱腰像よりも、
剛の者だったことをしめすエピソードが多く、
まだまだ研究の価値のある人物ではあるのだと思います。

ことにユニークなのは、
手裏剣の達人だったというエピソードかもしれません。
一般に貴人は儀式をのぞいて、
「大刀」を手にすることはありませんから、
護身術、身だしなみとしてたしなんでいたと考えられますが、
大政奉還後も手裏剣の練習をしていたということなので、
慶喜の秘めたる想いがそこにあったと考えたいところですよね。
どうしても。

慶喜の少年期は、かなりやんちゃなはねかえりだったようで、
教師役の坊主に怒られると、
あべこべに打ち据えてしまったりとか、
「敵襲だ~!」とか「火事だ~」とか叫び回る、
かなり迷惑な遊びもしていたようです。

お灸くらいの罰にはまったくへこたれず、
座敷牢にいれられても屈しませんでしたが、
座敷牢で飯抜きには折れたというところに、
その後の何かが象徴されているかもしれません。

そして、ここにも手裏剣が出てくるのですが、
そんなやんちゃな少年期には、
猫をしばり、木に吊るして「稽古」をしていたそうです。
現代とは残酷の概念が違いますから、
一概に批判はできませんし、
私は批判するつもりもありません。
ですが、猫好きの方の慶喜さんを見る目はかわるでしょう(笑)。

晩年は趣味人として生きた慶喜は、
書の腕前も幼少からたしかなものでしたが、
現在残されている慶喜の書を見ると、
したたかな剛の者としての顔がしっかりとうかがえます。
そこには弱腰さなど微塵もありません。
慶喜の「あの行動の意味」は、
これからも検証される余地があるようです。
手紙一枚でてくるだけで、
多くのことがらは歴史上の評価もかわる性質のものなのです。

徳川幕府の終焉の象徴だった最後の将軍は、
その後、明治の御代も生き抜き、
大正2年(1913年)に亡くなりました。享年77歳。
異論もあるとは思いますが、
託されたものを踏まえたうえで、
簡単に死ぬことはできない身であるということを、
理解した上での生き方だったのではないでしょうか。
たぶんに、「殿様的」ではあるんですけれども。
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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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    元々はリアル環境に諸事情をかかえていたときに気分転換で匿名ではじめた個人的な日記ブログでした。MAYAというのは中学以来の一部でのニックネームですから、おわかりの人にはすでに誰だかわかっていたはず。もう、実名にしてもよくなったのだけれど、ネットでの交流がはじまっていた方もおり、複雑怪奇なことになりそうだったのでこのブログDARK HEAVENでのハンドルはMAYAで通すことにしました。プロフィールにあるようなよくわからないシュミの性別不詳、年齢不詳の「キャラ」として楽しんでもらえれば幸いです。時々、性別や年齢がわかる発言をしているのは愛嬌ということで。リンクやトラックバックはご自由にどうぞ。拍手は泣いて喜びます。こんなのでよければ仲良くしてね。
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