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悪即斬 / 新選組三番隊組長斎藤一
京都の治安維持のために組織された新選組が、
その力を発揮できた根底には、
土方歳三の巧妙な組織の編成力があったといえるのですが、
細かい組織改編を行い続けた新選組の京都時代の全盛期には、
10の組割りがなされていました。
この10の組割りは、戦力を均等化したものではなく、
各組長の資質とも合わせ、
目的別に編成されたともいえるように思います。
つまり、乱暴に言うと強い隊と弱い隊があったようです。
ちなみに強かったのは、一番隊、二番隊、三番隊、
十番隊あたり。
当然、若い番号の隊ほど生え抜きの組長がいるわけですが、
それがほぼ剣の腕をあらわしている側面もあります。
一番隊は沖田総司、二番隊は永倉新八、三番隊は斎藤一。
十番隊の原田佐之助は、どちらかというと槍の人なので、
剣の腕より剛の者という感じでしょうが(笑)。
さて、新選組の歴史の中でも謎の多いのが、
三番隊の斎藤一というお方。
当初の名前は山口一だったといいます。
一(はじめ)、という名前の由来は、
天保15年の元旦生まれだからなのですが、
わかりやすいのはそのことくらいで、
いつから近藤一派と一緒なのかが、
皆目分からない人でもあります。
新選組の幹部としては、
実は沖田より二つ若いというのが意外で、
とびあがる腐女子のみなさんも多いのかも。
この斎藤一、
新選組のエピソードの要所で活躍していますが、
活躍と同時に名前も変わりつづけ、
京都後半からは山口二郎(次郎とも)になり、
会津に転戦中は山口として新選組を率い、
会津戦争のあとは藤田五郎と名前が変わります。
また、資料によっては、
藤田五郎の前に一瀬伝八と名のった時期もあるようです。
明治政府が発足すると、東京警視庁で警部補として奉職。
西郷隆盛が西南戦争を起こした明治10年には、
警視庁抜刀隊として参戦。
銃撃戦で負傷しながらも敵陣を奪取し、
大砲2門を奪う活躍をみせています。
明治を生きる新選組としての面目躍如というところでしょうか。
その斎藤一も明治24年には一線を退き、
いまでいう東京教育大学で剣術師範となり、
その後は東京で余生をまっとうしました。
新選組として、最後まで明治政府の所行を見届けるが如く、
明治の世を生きながらえ、大正4年9月28日、
正座をしたまま息を引き取ったと伝えられています、享年72。
そう、今日が斎藤一の命日なのです。
史実の斎藤は、眉がふさふさとして目つきの鋭い、
背の高い無口な男だったそうです。
また、無口故に、
永倉新八とはほとんど口を聞かなかったそうですが、
永倉は彼の剣には一目置いていたようです。
オダギリジョーの斎藤や、
るろうに剣心での斎藤しか、
ご存じない人も多いかもしれませんが、
史実の方がもっとしびれる男であったのだと思います。
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