| トップページ > 時事ネタ > さよなら青木智仁 | ||||
さよなら青木智仁
ベーシストの青木智仁(あおきともひと)さんが、
6月12日に急性心不全で亡くなられました。
49歳、ではあまりにも早すぎます。
たぶん、一般的には名前を知られていなかったと思いますが、
ベーシストとしては有名な人であります。
そのベースが奏でた音は、落ちつきながらも燃えていました。
新聞の死亡記事はとてもとても小さなもので、
彼の足跡に関しては、
「ジャズ、フュージョンのスタジオ演奏家として活躍」と、
一行だけのそっけないものでしたが、
実際は様々なアーティストのレコーディングに参加。
彼のことは知らない人のところにも『音』だけは、
いろいろな形に姿を変え確実に届いていたんだと思います。
とくに『角松敏生』のファンなら、
彼の名前は知らないものはいないくらいの存在。
1982年よりほとんどのアルバムに参加、
ツアーにも同行し、角松バンドの不動のベーシストでした。
HATSUKOIのビデオクリップで見せた、
あのふざけた格好(笑)を忘れることはないでしょう。
私の場合、角松敏生の重要な転機であった、
凍結ー解凍を含めた前後の日本武道館のコンサートで、
角松バンドの一員として楽しそうにプレイする
青木さんの姿を忘れられません。
さよならよりも、
ありがとう青木智仁という気持ちで、いまはいっぱいです。
くしくも亡くなった6月12日は、
ご自身の誕生日だったのだそうです…。
想いは届く
想いはつながるものとして
角松敏生さんをはじめとして、
多くの音楽関係者が訪れていたといいます。
私もベースギターを、
ちょこっとだけやったことがあるので、
あこがれの人の一人でした。
青木智仁という人は一人しかいませんが、
その遺伝子をつなぐミュージシャンは、
多数でてくることでしょう。
私はミュージシャンではないですが、
インスパイアされた気持ちを大事にして、
なにかを表現していきたいと思います。
コメントの投稿
トラックバック
http://mayadh.blog4.fc2.com/tb.php/391-7347ff3a


たくさんの心に足跡を残されたのでしょうね。
自分の感性を育ててくれた人、モノが
なくなっていくのはツライことですね。
そしてなくなっていったときに初めて
日常的には細胞の隅っこで眠っているということに
気づいてしまったりするし。
「ありがとう」という気持ちは
mayaさんが得たものを抱き続けることで
きっと届くと思います。