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THEハプスブルク(ハプスブルク展) @ 国立新美術館(六本木・乃木坂)




物事を思索する時に、
どうしても日本語と言う思考言語と、
この国ならではの価値観を背景にせざるを得ないんだけれど、
それではどこまでも理解し得ない事はいくつかあると思います。
なかでも中央集権による絶対権力の「強大」さ、
これは日本人にはなかなか想像しにくいところなんじゃないだろうか。
皇族と言うロイヤルファミリーもおわしますし、過去には貴族もいたけれど、
民衆との財力の差と言うのは「たかが知れている」からね。

13世紀から20世紀初頭までヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、
そういう意味では絶対権力の象徴的な系譜。
そこに集約した様々なものを、
絵画75点に工芸品を加えた120点で構成した展覧会。
それぞれの価値観に従い見るところは様々でしょうが、
フランツ・クサファー・ヴィンターハルターの、
オーストリア皇妃エリザベートの肖像画だけでも見る価値はあるでしょう。
ノーブレス・オブリージュがそのまま絵になったようでした。

と、まあ固い話はそれくらいにしておいて、
絵画には肖像画が多かったのだけれど、
ここにある多くのものは、
時代背景的には誇張されて美化された肖像画『ではありません』。
この後すぐに、政治的な道具としての肖像画が多くなるわけですが、
この展覧会にあるほとんどはそうしたバイアスの少ない肖像です。
ですから、権力者たちの実像の脈動を伝えているのだと思います。
ハプスブルク家の血統は、政略結婚の繰り返しで版図を拡大した一族です。
その血脈を重視した理念は安定した政治を生んだ反面、
近しいもの同士の婚姻が生み出したマイナス面も多々あるようです。
そのあたりの「狂気」が肖像画に透けて見えるのも面白いところでした。
(オブラートにかけた表現だけれど、何が言いたいかわかるよね。)


なんかねー、3枚ほどの肖像画の前で、
中の人にやたら愚痴をしゃべりかけられたような気がするんだ(笑)。
王族も大変なんだね。
暴走した妄想といえばそれまでなんだけどさ。
でも、ジョルジョーネの「矢を持った少年」の絵と目が合ったとき、
瞬間的に背中に滝のような冷や汗が吹き出し、
手のひらが汗だらけに…。
ここまでゾォーッとしたのは、かなりひさしぶりでありました。
てか、絵の中にあやうくひきずりこまれるところだったんだけれど…
あれにはなにか憑いているんじゃないのかい??

残念ながら日本では生まれ得なかった肌触りを味わうには絶好の展覧会。
西欧の底知れぬ政治の深淵も感じさせてくれるでしょう。
闇の部分はともかくも、
偉い人のあの正装はどう着るものなのだろう?とか、
あの人たちは何を議論しているのだろうとか、
おかしなツボでスイッチが入る人は笑えるものも多々あると思います。
私も、ある絵のなかの人がどうしても奥田民生に見えて笑ってしまいました。





※THEハプスブルク 東京展
 国立新美術館
 2009年9月25日~12月14日
 観覧料一般1,500円





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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

パリに咲いた古伊万里の華展 @ 東京都庭園美術館(目黒)






日本と世界の国々との関わり方にはいろんなのりしろがあるけれど、
日本ならではの世界観からうまれた美術品や、工芸品も、
大きな役割を担ってきたのだと思います。
絵画の世界では浮世絵が、
西欧絵画に影響していることは一般にもあまりにも有名です。
でも、陶磁器の類も中国という歴史大国の隣人として、
ある意味「後発」ではあったものの、
その存在感が果たした役割はとてつもなく大きいのです。

江戸時代、表向きは鎖国状況であったなか、
実は輸出品として国内には出まわらないものを作っていたというのが、
この国のメンタリティーも表していて面白いかもしれませんね。
「有田」を中心としてヨーロッパへの輸出がはじまってから、
公式にこれで350年!ということを記念しての展覧会。
有田磁器が、中国の景徳鎮磁器と相互干渉しながら進歩するさまや、
日本独自の様式に輸出先の文化として存在していた形状が融合し、
さらなる独自性を生み出す流れが見てとれるでしょう。
また、現在の欧州のマイセンなどの発展にも間接的に寄与している部分も、
見えてくるように思います。

とくに陶磁器に興味がなくても、
日本には「ありえない形状のもの」は単純に面白いと思いますし、
かなり系統だった展示なので、
「有田磁器」というものが心にとどまる良い機会ではないでしょうか。
また、この東京都庭園美術館の建物そのものが、
昭和8年(1933年)に朝香宮邸として、
フランス人デザイナーによって切りとられた贅沢な空間です。
建物と庭だけでも楽しいんじゃないかな。
展示物だけではなく建築の細部の様式も見所だと思います。窓枠とか。扉とか。



※日本磁器輸出350周年記念・パリに咲いた古伊万里の華展
 東京都庭園美術館 
 2009年10月10日~12月23日
 入館料一般1,000円




テーマ : 陶芸
ジャンル : 学問・文化・芸術

本物の吉宗がもう少し暴れん坊だったらねえ

■理想の上司像は一体誰!? 
20代女子に聞いた「一番、上司にしたい歴史上の人物」ランキング

ここ数年、何かとブームな日本史。そんな日本史に登場する偉人たちがもしも上司だったなら……? 今回のランキングは「一番、上司にしたい歴史上の人物」。歴史に名を刻むほどの人物のリーダーシップとは、果たしてどんなものだったのでしょうか!?

 ●第1位/人を使う能力が飛びぬけていた「徳川吉宗」……19.0%
 ○第2位/皆に愛された、頼れるアニキ「西郷隆盛」……15.4%
 ●第3位/新しいアイディアを出させたらピカイチ「坂本龍馬」……14.8%
 ○第4位/部下の意見を全部聞いてくれそう!「聖徳太子」……13.4%
 ●第5位/統率力が抜群だった「武田信玄」……9.4%
 ○第6位/ストイックさと華麗さをあわせ持つ「上杉謙信」……7.4%
 ●第7位/常に時代を先取りするカリスマ「織田信長」……6.6%
 ○第8位/天性の明るさで人の心を鷲づかみ「豊臣秀吉」……5.8%
 ●第9位/戦略を立てる天才「源義経」……4.2%
 ○第10位/粘り強い忍耐力のある「徳川家康」……4.0%

第1位は19.0%の支持を得て、江戸幕府第8代将軍「徳川吉宗」に決定しました! 目安箱を設置して、庶民の意見を政治に反映させたことは、当時とても画期的な試みでした。時代劇『暴れん坊将軍』も有名ですね。逆に初代将軍の「徳川家康」は、第10位と残念な結果に。 (escala cafe - 09月05日 21:02)







この手のものはいろんなところでやっているけれど、
20代女子が対象ってのはちと斬新ではあるのかも。
でも、この結果って、
単に『知っている人物』をあげただけじゃないかと思う(爆)。
いかんせん、この顔ぶれじゃあさ。
一位の吉宗は、絶対にテレビドラマの松平健の影響でしょ?
あの方は実際は米相場の変動にうまい経済政策を取れずに、
米将軍と『揶揄』された人なのにねえ。
西郷隆盛は、部下に押し切られて政府に反旗を翻したんだし、
織田信長にいたっては部下に殺された大バカものじゃーないか。

そもそも男性向けのビジネス誌にも、
こんな感じの特集がよく組まれているけれども、
そんなヨタ記事にマジに感化される単純なリーダーをもつと大変です。
てか、上司や社長がそんなものを大真面目で読んでいたら嫌だなあ。
(ネタとして読むには、もちろん結構なんですが…)
男性誌ではおもに崇拝されるのは諸葛亮孔明なんだと思うんだけれど、
私だって英雄の一人としては嫌いじゃないですが、
あいつはキチンと後継者すら育てられなかったマヌケじゃーないか!!
…とも解釈できるわけで。
歴史上の人物を一面的な観点で尊敬するのはとてもキケンなことです。

それにしても、この20代女子の結果…
いわゆる歴女の意見はほっとんど入っていないよねえ。
というか、あまりにふつうな結果で絶望したというか…
頭の良さそうな人たちにはあんまり聞かなかった気がする(毒)。
ある時期にビックサイトにきている人たちとか、
池袋にある通りや「青いお店」にいる人に聞くと、
こんな結果にはならない気がすると思うのデス。
さらには鎌倉や京都の寺社仏閣をまわっている若い女性にに聞いても、
予想すらできない面白い結果になったと思うんだけれど。

私だったら現代の現代性に充分対応できる人じゃないと、
上司になられるのは怖くて怖くて。
義経なんか、組織の枠を理解してくれないからアブナ過ぎて嫌だよそれこそ。
だから歴史上では、え?な人くらいが良いんではないかと思うわけです。
清河八郎とか、伊東甲子太郎とかなら、
政治の駆け引きもできて現代人っぽいじゃんか。
桂小五郎にいたっては目立たないけど成功者とも言っていいと思うし。
時代をさかのぼって黒田孝高(黒田官兵衛)なんかの知謀も面白いんだけれど、
あの人は上司(豊臣秀吉)に過度に警戒をさせたのはマイナス(爆)。
でも、どこかでこうした設問には腑に落ちないのが基本ではあるかも。

まー、根っこにね、小学生のころに尊敬する偉人は?と聞かれたので、
いませんと答えたらこちらの意図も聞かずに怒る、
バカとしか言いようがないO先生というのがいまして、
それ以来意固地になる部分ではあるかもしれないのです。
好きで魅力的なポイントをもつ人物というのは多数いますけれども、
全面的に尊敬も崇拝もできないというスタンスは、
幼稚園児の頃から変わっていないみたいです。
だって人はどこかに闇や、褒められざる所を抱えているのですもの。
だから、こうしたひねくれた答え方をついついしてしまうんです。
に、してもだ。吉宗はねーだろー!!
まさかとは思うが、パチの影響もあるんじゃなかろうか。

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

三渓園(本牧)と花々










さて、元々私が中学生で一眼レフをはじめて手にした時、
おもな被写体にしていたのは鎌倉にある寺社仏閣でありました。
江の電ですらなくね。しかも、モノクロ撮り。
考えてみるとおかしな中学生なんです(笑)。
その流れで、都内の庭園などにもほとんど行きました。
ではありますが、ここはいまだに抜けていたんだよね。
神奈川県の本牧の三渓園。
あれだけ10代のデートは横浜ばかりだったのにさ。てへっ。

この三渓園、明治期の実業家の原三渓(三渓は号、本名は原富太郎)が、
私財で作ったバカでかい庭園。
自分で建てた建築をはじめとして、
京都や和歌山などからも価値のある建物を移築してありますが、
川崎民家園や江戸東京たてもの園などと違うのは、
採算などを考えて建てたのではない『趣味の良い』建物ばかりなので、
本当の意味での贅に近いものが集まっている気がします。

それにしても明治期の製糸業ってどんだけ儲かったんだろう。
原三渓は、生糸貿易でのしあがったわけなんですが、
国宝クラスがバンバン買えるお金持ちだったというのは、
いまのセレブともケタが違うことなのだと思うのです。
横浜大空襲や戦後のどさくさで消失、散逸していなければ、
そのコレクションはもっととんでもないものだったのでしょう。

ただ、これを一つの庭としてみたてるのはどうなんだろう~。
原三渓が建てさせた建築物自体は建物としても品があり、
機能的な実利面も余白の美も風情のあるものなのですが、
この庭そのものはいささか力技過ぎと感じたのが強い印象です。
ちょっと装飾過剰のやり過ぎ感が漂うもので。
できたころの三渓園はもっと何もない感じのところだったようですが、
それでもあそこに三重塔を移築したのは初期からなのですから。
庭作りの基本として、そこにある地の利を生かすのはわかります。
でもなあ、、、あそこに三重塔を配するのは私の趣味ではありません。
その一方で池のなかに築山などを置かなかったのは面白いかも。

いまの季節は、紫陽花と花菖蒲が綺麗ですが、
紫陽花は、額紫陽花のほうが多かったのはうれしかったなあ。
西洋紫陽花より好きなのです。
また、白い花菖蒲というのも良いものですね。
園内に植えられたものをみると、年中楽しめそうです。
すこしばかり行きづらいところにあるのはネックですが、
それをおしてくる人を相手にしたほうが客層が荒れなくていいのでしょう。
園内には宴席、撮影などのために貸し出してくれる施設もあるので、
様々な利用方法があるのですが…、
まさかここで、レイヤーに会うとは思わなかったさ(爆)。
あ、入場料は500円。


そうそう!!、こういう公園では珍しく、
池の鯉用のえさを売っているんだよね。
鯉、鴨、亀共用なんですが、結構楽しいです。


※横浜三渓園
http://www.sankeien.or.jp/index.html

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

さて、この池田屋は良い騒動になりますものやら?

幕末の大事件「池田屋騒動」の舞台となった京都市中京区の「池田屋」跡で、約130年ぶりに「池田屋」が復活する。7月に新たに開店する居酒屋の店名に「池田屋」が冠されるためで、地元の商店主なども「町おこしの起爆剤に」と期待を寄せている。池田屋騒動は1864(元治元)年7月8日に発生。旅館池田屋で会合していた尊王攘夷(じょうい)派の土佐、長州藩士らを新選組が襲撃し、新選組の名を世間に知らしめるきっかけとなった。主人の池田屋惣兵衛は反幕府勢力をかくまったとしてとらえられ獄死。池田屋も営業停止となった。その後、縁者らによって近くの三条木屋町付近で同じ屋号で営業していたが、やがて廃業した。三条通の池田屋跡地は戦後、別の経営者が旅館を経営後、ファストフード店の入るテナントビルやパチンコ店などになった後、昨年初めからは空きビルとなっていた。居酒屋チェーン「チムニー」(東京都)が新たに開く店名は「はなの舞 池田屋店」で、池田屋の名前が復活する。地上2階、地下1階の現代的な建物だが、内装は江戸時代をイメージし、騒動を題材にした映画やドラマなどに度々登場する「池田屋階段落ち」の高さ約7メートルの階段も設ける予定。同社は「旅行業者とタイアップするなど、地元の観光振興に役立ちたい。騒動の跡地ではあるが『癒やし』の場を提供していきたい」としている。地元の商店主でつくる三条小橋商店街振興組合の大西弘太郎理事長(55)は「新選組の法被を作り、跡地に案内板を建てるなどの取り組みをしてきだだけに、池田屋の名前の復活はうれしい。さまざまな面で、地域が盛り上がるように協力をしていければ」と期待を寄せている。
(京都新聞 - 04月24日 14:59)





結構、複雑な気分のニュース。
おおざっぱに例えるなら、古戦場あとにムシロをしいて、
酒を飲む気になるかということなんだけれどもさ。
近くならともかく、そのものズバリの場所だけに抵抗感はあるかも。
ともかくも、私がここを訪れた際にはたしかパチンコ屋で、
かたすみにちゃちな碑があっただけだったんだよね。
それにしても昨年から空きビルだったとは。
京都のテナント事情もなんか厳しいんだろうねえ。

ところで店を出すのは東京の会社なんじゃん…。
てか、よく知っているけれどもさ。
両国に本社がある、いまいちあか抜けない居酒屋チェーンです。
まあ、あか抜けないからこんなことやるんだと思うんだけれどもさ。
新聞本文では随分もちあげて書いてくれているけれど、
京都って独特の土地がらだから大丈夫なのでしょうか?
2年ぐらいで撤退とかにはならないで欲しいよねえ。
そして、客は酔って階段から落ちませんように。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

特別名勝・六義園ライトアップ!!(駒込)










都内には、いくつかの庭園が現存・保存され公開されていますが、
だいたいは午後5時くらいにはクローズというのがふつう。
ここ駒込の六義園は珍しい事に夜間にライトアップが施され、
ちょっとした異空間の趣きが味わえます。
入場できるのも【20時半】までというのがポイント高し。
ただし、ライトアップは、
11月22日から12月14日までの期間限定のお楽しみ。

まさかとは思うので、一応書いておきますが、
ライトアップと言っても、
ハロウィーンやクリスマスのイルミネーションみたいな、
そんなギミックはないですからね(笑)。
あくまで庭園の紅葉や佇まいを味わうがための、
かがり火のようなものを想像してくださいませ。
そのあたり、誤解の無きように。

なお、一部区域は暗いと危険なため、
ライト点灯とともに立ち入り禁止になるところがあります。
庭園全部と、暮れ行く風景をまるごと目にしたい人は、
午後4時にはパークインしちゃいましょう…(ディズニーかっ!?)

六義園はもともと五代将軍徳川綱吉の要人、
柳沢吉保が元禄15年(1702年)に築園。
その後、三菱の創業者・岩崎弥太郎の別邸を経て、
東京都に寄付されたもの。
園内に立つと往事の『権力』というものがどれだけ強いものだったか、
よくわかる気がします。
てか、現代のセレブなんてみんな『小金持ち』にしか過ぎないよね(爆)。

この庭園は、和歌の趣味に彩られてつくられているそうで、
六義園の六義とは、中国での詩の分類法なのだそうです。
そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌。
あわせて「詩の六義」。
そうした意匠が凝らされた園内をくまなく歩けば、
本当の意味での趣味の良さが見えるはず…やや贅沢だけど、ね。
これが、入場料300円ではもうしわけないくらいです。

そうそう!、正面入り口付近にある、
蔵の白壁の壁面もライトアップされているんだけれど、
思わず京極夏彦の魍魎の匣を思いだしちまったい。
これ、絶対…中で人が死んでそう…そして、それは和歌の見立て。
とまあ、妄想はほどほどに。自重。自重。
夜間の紅葉を見にいくには、
いま絶好の隠れたスポットでお勧め度は高いですよ。

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

ボストン美術館浮世絵名品展 @ 江戸東京博物館(両国)

一時期、テレビ番組や雑誌でも数多くとりあげられただけに、
大盛況の浮世絵の展覧会。
大盛況になるということは、
同種のものが開かれやすくなるというありがたい面もあるんだけれど、
混み過ぎるのはなんだかなあと思う面も多いんだよね。
はっきりいって客筋は最低だもん。
それにしても日本で大きな美術展があると、
なんでいつもこうなっちゃうんだろうと思うくらいに、
浮世絵の「う」も美術の「び」も知らんような人ばっかり。

はじめてそうしたものに触れてみて、
そこを入り口にする人もいますから、
不勉強な人に来るなとはいいませんけれども、
会場の中で露骨につまらないと言いだすおばさま連中には、
やや辟易とします。それはさすがにルール違反だよっ。
てか、そういう人って自分で金を払っていないからさ。
こうした展覧会の負の部分でもありますが、
客数の底上げのためにタダで配られる入場券の扱いは、
配る先を考えて欲しいよねえ。
だいたい、浮世絵を3センチの距離で見て何がわかるんだか。

そんなわけでありえないくらい混んでいるので、
薄着、手ぶらで行く事を推奨。
膨大な数の浮世絵を時系列に沿って並べていますから、
浮世絵の技術そのものの発展が手に取るようにわかりますし、
各作家の流派の差異がハッキリと手に取るようにわかります。
東洲斎写楽という人がどんだけ「異質」なのかは際立っていますよね。
あの人だけは他の流れを無視していますから。
また、歌舞伎好きの人には当代の役者たちのご先祖たちが、
いまとおんなじような面立ちなのがわかって面白いかも。

個人的には、私は歌川一門の美人画は嫌いなのが、
あらためてよっくわかりました。
なんだろう、あごばかりとがって先鋭化した、
いまの最先端のアニメ絵じゃないけれど、
マニアしかうけつけないよんって感じがいけすかなかったりして。
でも、歌川一門の「荒事」関係とか風景画、妖怪変化の類いは好きです。
本当は浮世絵には「裏面」部分があって、
今回展示されているものはあきらかに「表面」の部分。
現代でたとえるなら「綺麗な風景写真集」とか、
「水着止まりのアイドル写真集」にあたるわけですが、
いずれはそうしたリミットのない「裏面」の評価検証も、
あわせてして欲しいとは思います。

まあ、現代の『AV』もぶっとぶようなものも数多くありますから、
なかなか難しいんだろうけれどもさ(爆)。
だってモザイクなんてない時代でござんすもの。。。
そりゃあさすがに幕府も発禁にするよなあ。
まかり間違っても、教科書にはのせらんないようなものばかりですが、
大衆芸術の発展にはかならず、そういう側面はあるものだったり。
興味ある人は「春画」、「枕絵」で探してみてね。

2008年10月8日~11月30日の会期なので、
まだ余裕があるので足をのばしてみてはいかが?
この展覧会だけの入場券も売っていますが、
江戸東京博物館との共通券のほうがお勧め。
なぜか、そちらを観ていかない人ばかりなんですが、
浮世絵の作り方などをふくめて知りたいなら、
あわせてみることを強くお勧めしたいと思います。
「錦絵にみる忠臣蔵」展も12月21日までやっているので、
ここにある浮世絵も合わせて見ないとつまんないじゃん。
本展のみの入場券(一般)は1,300円ですが、共通券は1,520円。
220円の差額をどう考えるかは、それぞれのご判断で。




※ボストン美術館浮世絵名品展
http://www.ukiyoeten.jp/

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

鉄道博物館 THE RAILWAY MUSEUM (大宮)










たぶん、私は真の意味での鉄道ヲタクではないんですが、
都内にあった交通博物館は一番数多く足を運んだ「博物館」でした。
また、蒸気機関車のD系統は動輪が4組あることとか、
電車の側面に書いてあるモハという言葉は、
運転台のないモーターつき中間車両の普通車…
みたいな妙な事だけは知っていたりするので、
鉄道マニア予備軍であることには間違いないようです。

そんなわけで、かねてから評判の「鉄道博物館」に行ってまいりました。
最寄り駅のニューシャトル鉄道博物館駅からは、
ほとんど歩かなくてもいいのは便利ですが、
大宮駅から唯一の路線であるニューシャトルの本数が、
あんまり出ていないのがややネック。
ほんと、大宮駅までは順調に行けるのにさぁ(笑)。

それはともかくも神田にあった交通博物館とは、
比較にならない土地面積が可能にしている実車輛の展示は圧巻。
ほとんどの車輛に触れることができ、乗れるのも魅力的です。
鉄道にまったく興味のない人でも、
それなりに楽しめる物量作戦は功を奏しているようです。
また、通路などがゆったりしているので、
混雑していても閉塞感は軽減されるのは助かります。

展示はおおむね3ヶ所に分けられており、
実車展示を中心にしたヒストリーゾーンがフロアの半分を占めています。
このフロアは横長で、
それを利用した横長の歴史年表はかなり面白いと思います。
オブラートにくるんではおりますが、
この国の鉄道の歴史は戦争の歴史と切れないものではありますから。
また、このエリアにある鉄道模型HOゲージの世界最大級のジオラマは、
感動的ですらあります。

あとは、企画展のスペースのあるコレクションゾーンと、
主に団体や生徒向け学習プログラムのあるラーニングゾーンとがあり、
これからも、みんなの夢を乗せ走り続けてくれそうです。

私が行ったこの日は、ふつうに親子連れが多かったのですが、
どういうわけかシニアの団体さんが、
ひっきりなしにいらっしゃっていまして、大盛況でありました。
どうも、バスツアーのようなものに組み入れられているようなのですね。
子ども連れ以上に、大さわ…にぎやかでありました。

これが入場料1,000円(一般料金)なら、大満足で一日中楽しめます。
多少疲れてしまってもベンチの数が多いのと、
乗り込んで座ってもいい客車が多いですから、安心です。
トイレも綺麗ですし、授乳スペースやキッズスペースもありますから、
様々な使い方ができそうです。
ただ、飲食スペースに関しては遠くないうちにテコ入れの必要があるかも。
イートインスペース2ヶ所のメニューに魅力がやや乏しい事と、
売られている駅弁が、日本食堂系統だけじゃもったいないよねぇ。
少なくとも鉄道博物館オリジナル弁当はやらなきゃ、ねえ日本食堂さん?
だって鉄道ヲタクでこそないけれど、
駅弁に関してならば、じゅうぶんマニアですから~

ということで、一つ前のエントリーの答えは、
初代新幹線21形式(0系)の先頭車輛用連結器カバー、
つまり、新幹線の鼻でした。




※鉄道博物館
http://www.railway-museum.jp/

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

坂本龍馬検定ぜよ。




どうも日本人ってヤツは、
なんでもかんでも資格、検定にしてしまう傾向があるようで。
有名無実の検定のほうが多い気はするんだけれど、
一つの娯楽としてなら面白いものもあるように思います。

そんなわけで、高知県立坂本龍馬記念館が、
今日からネットで始めた検定が、坂本龍馬検定初級編。
全25問ですから、ちゃちゃっとできてしまいます。
この手のものにしては、時間制限があるのが珍しいかも。

8月には中級編、11月15日には上級編がスタートするそうですが、
そちらは受検料1,000円がかかるのと、
学芸員クラスの知識が必要なのだそうですから、
まずは『無料』の初級編にぶつかってみてはいかが?
坂本龍馬にくわしくなくても、幕末好きなら結構いけるはず!?
というか、幕末好きならGO!

ちなみに80点以上取ると、坂本龍馬が褒めてくれます。
私は佐幕派に知識が偏っていますから、
坂本龍馬の知識には自信がないのですが、
龍馬さんを通した当時の時事問題なども入っていたので、
なんとか合格点の84点でした。
ただ捻りはあんまりないので、
純然たる龍馬好きなら満点は取れるんじゃないかなぁ。

【追記】
興味があったので再度やってみたところ、
出題順、選択肢の順番などは変わるようです。
また、25問以上設問は用意されているらしく、
初回にはなかったものも出てきました。
これは芸が細かい!!でも、点数はあがらなかっただ(滝汗)。



※坂本龍馬記念館プレゼンツ 龍馬検定!
http://ryoma.ymw.ne.jp/

テーマ : 幕末
ジャンル : 学問・文化・芸術

世界三大美女?

この正月は、最近多い雑学クイズ番組を、
親族とみている時間が多かったんだけれど、
クレオパトラがどうたらこうたらという話をしていたので、
かたわらにいた居候の大学生くんに質問をしてみました。

私「クレオパトラ以外の世界三大美女って誰だい?」
居候「え~と…小野妹子!」

おいおい。
さすがに答えた瞬間に「あ!」と言っていましたから、
小野妹子が、「男」なのはわかっていたのが救いですが、
結局、小野小町と楊貴妃はでてこなかったから、壊滅じゃん。

ところで、世界三大美女に、
他国との政治に関わりがない小野小町が入っているのかは、
これが日本だけでしか通用しない「常識」だからでしょう。
やはり、そういうところに、
日本人を入れたくなるのはしかたがないんでしょうね~。
広く様々な国で言われているのクレオパトラ、楊貴妃、
そしてトロイ戦争の原因になったギリシアのヘレネの三人。

また、マリーアントワネットを入れると言う説もあるようです。
ですが、いずれにせよ、
その美貌のために、
多くの血が流れることになった三人だとは言えそうです。怖っ。
綺麗な薔薇にはなんとやら、くわばらくわばら。

世界はともかくとして、
日本三大美女だったら誰だろうと、ふと考えてみたのですが、
思いついたのが、巴御前、おりょう、幾松(木戸松子)の三人でした。
う~ん、三大美女というよりは…これでは三大豪傑じゃんか。
あれ、そんな風な女性像が好みなんだったっけ!?
どうやら自分でもわからなくなってまいりました。
こら、そこの歴史にくわしい誰か(笑)!、笑い過ぎ。
さて、あなたにとっての三大美女はどなたかな?

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

川崎市立日本民家園 @ 小田急線向ケ丘遊園駅徒歩15分











またこいつはどこに出没しているのかとお思いでしょうが、
好奇心のためならどこまでも。
現代の、パーツ組み替えだけでできている建築の中にいると、
息がつまるタチですから、
時々、こうした古い民家を見にいくのが大好きなのです。

川崎市立日本民家園は、まさに日本の古民家のテーマパーク。
生田丘陵という絶好の地に、
各地から移築された家々が25も集められ、
日本の家の建築の様式を一気に見ることができます。
そこには、消費生活で忘れかけられた文化のカケラが落ちています。

かつては、養蚕がこの国ではどれだけ重要だったかを物語る、
二階がお蚕さんの居場所になっている農家の建物に、
この国の未来を重ねあわせると、
立ち戻らないといけない原点を見るような気がするのです。

とはいえ、難しいことは抜きに、
雪国の建物と、地元神奈川の建物の大きな違いや、
財力のある家と、ごくふつうの農家の違いなど、
自分なりの視点で楽しめる要素は多いと思います。
ああ、私はこんな家には住めないと思うのも良し。
それはそれで、現代の恩恵にいかにどっぷりと浸っているか、
実感できるというものでしょう。

個人的には、「船越の舞台」という、
三重県から移築された歌舞伎の舞台が秀逸でした。
1857年という幕末前夜に建てられたものですが、
奈落、廻り舞台、スッポン、中吊り簀の子などの仕掛けもあり、
現代の劇場にひけをとらない叡智が満載です。

このような場所が、
わずか500円の入場料で楽しめるのはもうしわけないくらい。
さらに、もう500円足して1,000円払えば、
2回分の入場料で年間パスポートが手にはいる大盤振る舞い。
川崎市立日本民家園、あなどれません。
また、飛騨から移築された民家では、蕎麦が食べられます。
味に関しては、どうということはありませんが、
風情はあるのでいいですよ(ざるそば530円)。

しかしながら、よくも悪くも「生田丘陵」にありますから、
園内の起伏は相当あると覚悟なさったほうがよろしいです。
とくに運動不足の方は要注意。
また、午後になるといきなり寒くなりますから、底冷えにも注意。
つーか、すげー寒いからね。
人によって、色々な使い方がありそうな
日本の民家の遊園地でした。




※川崎市立日本民家園
http://www.city.kawasaki.jp/88/88minka/home/minka.htm

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

東京時代祭【11/3】 @ 浅草 というか、新選組!!だよ、わーいわーい










11月3日の文化の日には、
浅草で毎年行われているらしい催しなのですが、
これはまったく知りませんでした。
たまたま浅草に行く用事ができ、偶然にでくわしたのです。

この東京時代祭は、江戸開闢以来の歴史上の人物や、
その時代の風俗に身を包んだ人たちがねりあるくというもので、
(歴史コスプレだよね。)
先頭は浅草観音由来のことがらにはじまり、
源頼朝、太田道灌あたりからはいるようですが、
私が目にしたのは、水戸黄門一行と、
そのすぐ後からの幕末編でした。

やはり、幕末好きですから呼ばれたのかっ!!(笑)

憎っき官軍よりも、
新選組や彰義隊、幕府方に重きをおかれていたのは、
ここが関東だからかもしれませんね。
ああ、あの官軍のアタマはうっとうしいぞっ!

…と、薩摩や長州出身のトモダチにはもうしわけありません。
しっかり、どちらの郷里の人もトモダチにいますから、
いまのうちに謝っておきましょう。
幕末編以降のパレードは、
ちゃんと幕府方、官軍方と両方いましたので、念のため。
ちなみに真ん中の写真が、
誰の扮装だかわからない人はいないよね!?
土方歳三は、なかなかに堂々としておりました。
なんでも、新選組関連の扮装の方々は、多摩の人たちのようです。

テーマ : *コスプレ*
ジャンル : サブカル

スペースQ

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銀座のこじんまりとしたギャラリー、スペースQで、
『われらが青春の新選組展』というのをやっていたので、
立ち寄ってみました。
結論からいいますと、かなり「お好き」でない限り、
遠くから足を運ぶほどではないかもしれませんが、
銀座7丁目の近くにいる新選組ファンなら、
寄ってみてもいいでしょう。

ただし、書籍の販売をしていますから、
衝動買いしそうな人は要注意っす。



【展示内容、イベント主旨】
8月16日~9月1日
13~19時(土曜は17時まで。日曜休館)
ギャラリースペースQ(銀座7-3-16東五ビルB1)
 
流山在住の大出俊幸氏による、
新人物往来社の既刊本などの展示会。
期間中にミニ講演会も予定。
「われらが青春の新選組展」
「新人物往来社版・新選組本156冊大公開」
「総司忌33年・歳三忌32年・
勇忌4年のオリジナル記念グッズ全点展示」
21日結喜しはや氏「沖田総司が食べた京の味」
24日釣洋一氏「沖田家のないしょばなし」
28日菊池明氏「新選組ここだけの話」
31日伊東成郎氏「土方歳三こぼればなし」



会期もわずかで、すでに終了しているものもありますが、
参考までに書いておきます。

あ!!、5人でやる、
ちがう「スペースQ」だと思った人、ゴメンナサイね。
こちらで展示していた主要な書籍の1/3はもっていますが、
世の中にはうえにはうえがいるものです(笑)。



※撮影は、ちゃんとお断りしてからやらせてもらいました。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

鈴ヶ森刑場遺跡

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京浜国道15号線の交通量の多いところの脇にありながら、
独特な雰囲気を醸し出しているのは、
気のせいではないと思います。
少しだけ温度が低いのも、木立だけのせいではないような。
ここ鈴ヶ森は江戸期から明治にかけての刑場跡。
最近、刑場という言葉で、
意味が通じない若者が増えてきた気がしますが、
それは勉強不足だよ、おい!!(怒)。

この鈴ヶ森は小伝馬町の牢獄をはさんで、
北東側の小塚原とならんで特に有名な刑場跡ですが、
慶安4年(1651年)に芝高輪にあった刑場を移転、
開設されたものです。
その背景には「弾圧強化」で、
キリシタンの処刑数が多くなったことがあるようです。

刑の執行自体は、
その後も小伝馬町の牢獄などでも行われていましたが、
江戸の発展を見越して、
「晒す」のは日本橋界隈ではまずい
という判断もあったんじゃないかと思います。
ここは江戸のはずれといえる場所だったわけです。
様々な意味で。
ちなみに日本橋を境に東に生まれた者は小塚原で晒され、
西の者はこちらの鈴ヶ森に晒されたようです。

丸橋忠弥、天一坊、八百屋お七、平井権八(白井権八)、
白木屋お駒といった、
のちに芝居化されたピカレスクヒーロー、ヒロインが
処刑されたのもこの鈴ヶ森でした。
いまでも、磔や火あぶりに使われた台座の石が残っており、
重苦しい感じが残っています。
正確な数は定かではありませんが、
こちらで刑が執行された者たちは10万人とも目されています。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

十番稲荷神社

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東京では、麻布十番という商店街はそれなりに有名ですが、
地方からの視点で捉えた感覚で考えると、
純粋な商業地とも、
住宅地の商店街ともつかぬ不思議な場所。
そして昼の街とも夜の街とも言い切れぬ、
かなり変わった場所だともいえると思います。

その麻布十番の商店街からは、
大通りを隔てたところにある地元の名前を冠した神社。
狭いところに新しい社がそびえています。
お参りをしてみて、あれっ??と思ったのが、
稲荷なのに狐がいなくて、狛犬なこと。
これはもう気になってしかたがない。
帰宅してから軽くその歴史を調べてみました。

この神社は、
先の戦争で消失した二つの神社を移転、合併したもの。
八咫の神鏡をまつった竹長稲荷神社と、
青柳稲荷と呼ばれていて末広稲荷と名称がかわり、
最終的に末広神社となった二つの社です。
これでは、この時点で相当混乱してしまいます。
つまり正確な来歴は、戦後からしかないということですよね。

さらにややこしいことに、
こちらで売られているお守りのモチーフは…




なんと!、カエルなんです。
麻布には麻布七不思議というものがあり、
その不思議の一つが水を吹き出して、
火事から街を守ったガマガエルの伝説。
(正確にはとある武家屋敷を、ですが。)
そんなわけで、
カエルのお守りが売られているわけなんですが、
こうなると、この神社、
何をまつっているのかまったくわかりません(笑)。
さらには七福神の宝船までまつっていますので。

一応、祭神は倉稲魂命、日本武尊、市杵島姫命、
田心姫命、湍津姫命となっていますが、
あとづけのものもありそうです。
こうしたことが、日本の神社の現実ではあるのです。

テーマ : 神社・神道
ジャンル : 学問・文化・芸術

乙女稲荷神社

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時の流れはどこかで回廊になっていて、
思わぬところがつながっているのかもしれないと、
感じることがあります。
そして、たまに、
それを見わたすことができる人もいるんだと。
本当はそれは不幸なことなのですが、
人は無責任に偉人と呼ぶのです。

それはともかく、
こうした鳥居の連なりをくぐると、
そのまま違う世界に行っちゃいそうだと、
多くの人が思うということは、
異空間はたしかにそこにあるということですね。

鳥居の数だけ異世界はあり、
本当はくぐるたびに、
違う世界にとばされているのだとしたら、
常に世界は多面的で素敵です。
いつも、何かを自分の力で変えられるのですから。

さて、稲荷と言えばつきものは狐ですが、
こちらの狐さまは、
トンボを飾るのが流行りのようです。
左右の狐とも、頭の上でトンボが休んでおりました。
トンボもきっと、涼しいのでしょう。
境内には3組の狐たちがおわしますが、
この狐さまは昭和8年の作。
若干、狼とか犬系の顔立ちなのは気のせい?

日本の神社の成り立ちは複雑怪奇な側面があり、
明治政府が国教として神道を中心に据えたとき、
神仏分離の過程で様々な「おかしなこと」が起こり、
神社は「より格上の神様」をまつろうとした経緯があります。
いわば神様のブランド信仰みたいなものですが、
その名残りは現代にそのまま直結していて、
多くの神社の「主祭神」はあとづけのものだったりします。

こちらの乙女稲荷神社の主祭神は、
倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)となっていますが、
本当にそうなのかは、
調べてみないとわからないことだったりします。
外国人に言ったらあきれられそうと言うより、
確実に理解不能の事ですよね。

ちなみに結構大きな名の通った神社でも、
本当の祭神は「行き倒れて死んだ誰だかわからない爺さん」
なんてこともあるのですから。
この国にいる神様の数は、とても多くて素敵です。

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

徳川慶喜公の墓 @ 歴史探訪・谷中墓地(谷中)

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所用のついでに谷中墓地の一角にある、
徳川慶喜公の墓所に立ち寄りました。
所用のついでにおまいりされちゃあ、
最後の将軍の価値もあったものではありませんが、
幕臣、新撰組、会津藩びいきとしては、
思うことはいっぱいありますものね。

徳川慶喜は朝廷に大政奉還をした人ということと、
なによりも、
味方をおいて大阪から海路で逃げちゃったという、
イメージが定着していますが、
昨今定着している弱腰像よりも、
剛の者だったことをしめすエピソードが多く、
まだまだ研究の価値のある人物ではあるのだと思います。

ことにユニークなのは、
手裏剣の達人だったというエピソードかもしれません。
一般に貴人は儀式をのぞいて、
「大刀」を手にすることはありませんから、
護身術、身だしなみとしてたしなんでいたと考えられますが、
大政奉還後も手裏剣の練習をしていたということなので、
慶喜の秘めたる想いがそこにあったと考えたいところですよね。
どうしても。

慶喜の少年期は、かなりやんちゃなはねかえりだったようで、
教師役の坊主に怒られると、
あべこべに打ち据えてしまったりとか、
「敵襲だ~!」とか「火事だ~」とか叫び回る、
かなり迷惑な遊びもしていたようです。

お灸くらいの罰にはまったくへこたれず、
座敷牢にいれられても屈しませんでしたが、
座敷牢で飯抜きには折れたというところに、
その後の何かが象徴されているかもしれません。

そして、ここにも手裏剣が出てくるのですが、
そんなやんちゃな少年期には、
猫をしばり、木に吊るして「稽古」をしていたそうです。
現代とは残酷の概念が違いますから、
一概に批判はできませんし、
私は批判するつもりもありません。
ですが、猫好きの方の慶喜さんを見る目はかわるでしょう(笑)。

晩年は趣味人として生きた慶喜は、
書の腕前も幼少からたしかなものでしたが、
現在残されている慶喜の書を見ると、
したたかな剛の者としての顔がしっかりとうかがえます。
そこには弱腰さなど微塵もありません。
慶喜の「あの行動の意味」は、
これからも検証される余地があるようです。
手紙一枚でてくるだけで、
多くのことがらは歴史上の評価もかわる性質のものなのです。

徳川幕府の終焉の象徴だった最後の将軍は、
その後、明治の御代も生き抜き、
大正2年(1913年)に亡くなりました。享年77歳。
異論もあるとは思いますが、
託されたものを踏まえたうえで、
簡単に死ぬことはできない身であるということを、
理解した上での生き方だったのではないでしょうか。
たぶんに、「殿様的」ではあるんですけれども。

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

戦士の墓標・彰義隊戦死者の墓 @ 歴史探訪(上野)

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学校で教えている範囲の日本の歴史では、
幕末の官軍(新政府軍)と旧幕軍の対立は、
江戸城の無血開城ですんなりおさまったような印象が、
あるのだと思います。

ところが現実はそんなに甘いものではなく、
その後も暗闘は続いていました。

薩摩藩御用盗が官軍の威を借り、
江戸の各地で放火・強奪をしていた事実もあります。
治安を守るために、それ以前に生きるために、
戦える者は戦わざるを得なかったのが真実です。
そうして起こった最大の戦いが上野戦争でした。

彰義隊という組織は、
もともと官軍に恭順した将軍・徳川慶喜を、
護るための組織でしたが、
この時期には江戸の治安を維持するために動いていました。
それが薩摩藩などの陰謀で、
街への放火・強奪の濡れ衣を着せられたのですから、
起こるべくして起こった対立なのだといえるでしょう。

薩摩藩の西郷隆盛は藩の者の行いの負い目もあったからか、
説得での終結を主張、
しかし、長州藩の大村益次郎らの武力討伐派に押し切られ、
1868年5月15日未明、
上野の寛永寺にたてこもる彰義隊と新政府軍は全面衝突。

新政府軍の近代兵器、
アームストロング砲の容赦ない攻撃の前に、
彰義隊は二百数名の戦死者を出し、半日で壊滅。
上野戦争はあっけなく終結しますが、
上野から末広町(ほぼ秋葉原手前まで)は火の海になりました。
悲惨なのは、その後の話で、
新政府軍は戦死者の遺体の回収を、
見せしめとして禁じたのです。

さすがに見かねた街の有志がこれを弔うことを直訴。
やっとのことで供養することができるようになったといいます。
ですから、この墓は火葬場の跡でもあります。
墓石はのちに生き残りの隊士・小川興郷らが建立。
旧幕臣の山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を、
大きく刻みこんでいます。

その思いの大きさ故、数年前まで、
この墓所は生き残りの小川一族が代々管理していましたが、
後継者がいなくなり東京都の管理下に入りました。
平和な上野の山で今日も、
西郷隆盛の後ろ姿を見ながら戦士たちは眠っています。

新選組十番隊隊長・原田佐之助も、
彰義隊に参加していましたが、
この日の激戦で負傷、
数日後に命を落としたといわれています。
ですが切腹しても死ななかった過去をもつこの男、
実は生き延びて清国(中国)に渡り、
馬賊の頭目になって、
日清戦争では日本を後方から支援したという伝説もあります。

※今回は、こういう見方もあるという意味合いで、
 とくに彰義隊目線で書いてありますが、
 こうではない見方というのも無論、存在します。
 ただ、いまだに東京の下町で、
 彰義隊の人気は高いのがなぜか?
 そこから見える真実もあると思います。

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

美少女戦士セーラームーンと清河八郎

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両方とも名前を知っている人もそうでない人も、
なんじゃこの関係性は?と思うでしょうが、
案外、接点って妙なところにあるものなのです。
写真を見ただけでもうおわかりの人は、
アニメ通で歴史通ですな。
いや、単にセラムンヲタで、新撰組ヲタってこともあるのか。

美少女戦士セーラームーンは、
もう古典となった感がありますが、
90年代初頭の代表的なアニメ(マンガ)作品。
マニアだけではなく、
一般の子どもたち(とくに女の子)をブームに巻き込み、
美少女が変身して敵と戦うジャンルを確立した作品です。
ちなみに、いまをときめく人気声優さんが、
超端役ででていたりするので、
いろんな意味で再発見も多いかと。石田彰、とかさ。

その舞台は、東京都港区をモデルにしており、
十番町という架空の街を中心に展開していましたが、
東京在住の人ならば、
それが「麻布十番」だとすぐに思い当たることでしょう。
作品中では架空の場所ばかりではなく、
現実にある場所もでてきたわけなんですが、
それがこの写真の公園です。

まわりに水が流れている、
あの特徴的な円形のパイプをくぐって公園に入る構造を、
覚えておられる方も多いでしょう。
とくに主人公の月野うさぎと、
火野レイあたりのからみが多かった場所にあたります。
古川という川がそばを流れる所にある、
この公園の名前は「一ノ橋公園」。

はい。つながりましたよね?
幕末の策士で、
新撰組の成立にはかかせなかった男、清河八郎。
彼が江戸界隈の浪士を集めて京につれていかなければ、
おそらく新撰組は誕生しなかったでしょう。
彼の人集めは幕府の肝いりで行われたものの、
その真の目的は「倒幕の兵集め」でしたから、
近藤勇一派と芹沢鴨一派は、
清河八郎の元を去ることになります。
そのことで、新撰組ができたんですから、
清川先生には感謝しないとね。
でも、今回はそっちのほうこそ余談。

それだけのことをしでかしたわけですから、
結局、清河八郎は幕府に「マークされ」、
江戸に帰ってこれからというときに暗殺されてしまいます。
文久3年4月13日(1863年5月30日)、
幕臣・佐々木只三郎らの手によって、
哀れ斬られて果てることになるのです。享年34歳。
終焉の地は、麻布一ノ橋界隈であったとされています。
つまり、写真の公園の近くということです。

現実と仮想がごっちゃになってはおりますが、
こうした身近な場所でも、
見方を変えてみると、
面白い(かもしれない)話題が発掘できるものなのです。

この一ノ橋公園、
毎年夏に行われる「麻布十番納涼まつり」では、
近隣の大使館関係者が郷土料理の屋台を出す場所。
そちらのほうで知っている人も多いかもしれませんね。
なお、今年(2007年)の麻布十番納涼まつりは、
8月24日(金)から8月26日(日)に開催されます。
屋台の料理が美味しいので、お勧めのお祭りですが、
とにかく激烈に混みますから、ご注意のほどを。

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

硫黄島、正しき名前の帰還

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硫黄島を「いおうとう」に変更

第2次世界大戦の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」へ変えると国土地理院が18日、発表した。戦後も帰島かなわぬ旧島民の心情に配慮し、村が変更を要望していた。市販地図や教科書の基になる2万5000分の1地形図の図名が9月から改まる。硫黄島には戦前、約1000人の島民がいて「いおうとう」と呼ばれていたが、戦時中、全員が強制疎開に。米軍が「いおうじま」と呼び、その後、都もこれを標準呼称として公報に載せたことから、地理院も82年から「いおうじま」を使ってきた。

朝日新聞 2007年06月18日19時46分の記事より引用


硫黄島という本土から遥か離れた南洋の島で、
かつてなにがあったのかを、
アメリカ映画ではじめて知った人もいるというのも、
ちょっと違和感を覚えることではあるんですが、
正さなきゃいけないところを正すのに、
役に立つことにはなってくれたようです。


戦争の勝敗というものは、移動力で決まります。
古い時代の戦争では歩兵が敵国の都に入れるかという点、
つまり兵を的確に進めることが、
勝敗の帰趨を決定づけることになります。
この移動力が重要なのは現代でも変わりません。
ボタン一つの戦争になっている今の世界でも、
ミサイルが届くか届かないかの移動力の勝負ということです。

第二次世界大戦の末期の日本をとりまく状況下では、
連合国(というよりアメリカの)爆撃機の航続距離が問題でした。
もっと正確に言うと、
爆撃機の護衛をする戦闘機の航続距離の問題で、
適当な位置に拠点が欲しかったのがアメリカ側の事情。
日本側もそれを承知していたからこそ、
そこが奪取されれば、本土がおしまいであることを理解していました。
それが、硫黄島の位置づけです。
沖縄と並んで、アメリカ軍と直接対決の戦闘があった島が、
東京都に属していることも、その存在も、
いまは知る人のほうが少ないのかもしれません。

硫黄島は、東京の南1,000キロほどにある火山島で、
グアムやサイパンと日本本土の中間に位置することと、
空港があり爆撃機が発着できることから、
アメリカ軍の侵攻目標になったわけですが、
東西に8キロ南北に4キロという小さい島でありながら、
変化に乏しい地形が、
逆に激戦となる結果を呼び込んだといえるようです。

栗林忠道陸軍中将ひきいる硫黄島の日本軍は、
アメリカ軍との戦力差を正しく認識しており、
上陸してくる部隊を海岸で阻止するのは無理と考え、
島にある洞窟や坑道を網の目のように結び、
要塞として利用することで勝機を得ることを立案。
40度から60度の坑道の気温と有毒ガスに苦しみながらも、
全長18キロもの坑道を完成し、
アメリカ軍と対峙することになります。
(坑道は予定では28キロあったが、10キロ分は間に合わず。)

一方アメリカ軍はこの硫黄島の戦力増強を察知しており、
しつこく爆撃と海岸からの艦砲射撃を繰り返し、
戦力を削ごうとしていましたが、
かならずしもうまくいかなかった面があるようです。
それには戦勝ムードで、
この作戦が終れば国に帰れるという意識が、
多少なりとも邪魔をしたということもあったのでしょう。

そんな中、1945年2月18日に両軍はついに激突。
日本軍約22,000人とアメリカ軍約70,000人の、
最後の激戦がはじまりました。
アメリカ軍の予測では、戦闘は数日で終るはずでしたが、
日本軍の戦いぶりは激しく、
組織的な戦闘が集結したのは3月22日のことでした。
(これも完全に戦闘が終わったという意味の日ではないのですが。)
日本軍の戦死者は20,129名。
アメリカ軍の戦死者は6,821名、負傷者21,865名。
硫黄島も、島自体の地形が変わってしまったといいます。

その後、終戦のあとも硫黄島はアメリカの統治下におかれ、
1960年代には、
アメリカ空軍の核兵器が置かれていたこともあったようです。
日本に返還されたのは1968年のことですが、
わずかながらいた住民は1944年に疎開させられて以来、
帰島はいまだにかなっていません。
現在は海上自衛隊の航空基地が置かれ、
一般人の立ち入りは制限されており、
アメリカ軍との合同演習などに使われているのです。

この地の激戦で亡くなった人たちは、
そのほとんどが、その後も「そのまま」の状態でした。
平成の時代になっても何度も遺骨収集団が組まれており、
現地を訪れていますが、回収された遺骨は約8,500柱。
現代の装備をもってしても、
遺骨収集のために壕にはいることが、
それだけ過酷な状況だということがいえるでしょう。

クリント・イーストウッドが、
硫黄島をとりあげて映画を作ってくれたことで、
硫黄島の名前を風化させないですむのはありがたいことです。
ことに、日本の側の視点からの映画も作ってくれたことは、
高く評価したいところです。
ただし、映画の内容はまた別に評価することではありますけれど。

そして、この映画の力もあってか、
硫黄島は本来の名前を取り戻すことになりました。
硫黄島と書いて「いおうじま」と読ませてきたのは、
占領軍の誤記から生じた「あちらさんの都合」でした。
ですから、
今回、「いおうとう」という本来の呼び方に戻せるのは、
そこが故郷の人たちだけの悲願ではなく、
国全体の問題だったんだと思うのです。

戦後処理のどさくさの延長上の問題は、
まだまだこの国には横たわっているのですが、
まずはひとつ、
とても大きな問題に手がついたことを、うれしく思います。
少なくとも、彼の地で横たわる者たちの遺骨が、
まだそこにあるのですから、
たかが呼び名ということではないのです。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

桂小五郎

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幕末マニアというより、
新撰組好きで知られているらしい私ですが、
ふと書店街を歩いていると、
芝居のポスターが目に止まってしまいました。
こ、これは!!

神田時来組プロデュース
坂本龍馬没後 140年記念公演
『そして龍馬は殺された』
6/14から6/18、新宿御苑シアターサンモールにて
※神田時来組
http://www.ryoma140.com/

う、行きてぇ。
実際は金銭的にも時間的にも余裕がないので、
今回は泣く泣くあきらめなんですが、
龍馬ら土佐藩だけでなく、
新撰組の主要人物までもがほとんど出てくるのが興味深いです。
誰か観に行った人がいたら、
こっそりどんなだったか教えておくれよね。

言うまでもなく幕末の動乱期に、
仲が悪かった薩摩藩と長州藩を結びつけた坂本龍馬は、
それゆえに寿命を縮め暗殺されることになるのですが、
この暗殺の真実は、いまだに明らかではありません。
ながらく新撰組の裏仕事と思われてきましたが、
現在は京都見廻組の佐々木只三郎という説が主流。
個人的には、中岡慎太郎との内輪もめ説を推したいのですが、
この芝居ではどう描かれているのでしょうね。

さて、この公演では主要キャストとして、
維新の三傑の一人、桂小五郎がフューチャーされています。
この桂小五郎、身長6尺…つまり174センチ前後の大柄で、
当時としては珍しい長身の男でした。(だから、IZAMなのか!?)
動乱期は逃げ回っているイメージの強い桂小五郎ですが、
よくもまぁ、それだけ目立つ身で逃げおおせたなぁと、
あらためて感心しました。

桂小五郎は、幼少期から名前が変わり続けた男でもあり、
15歳以前は和田姓を名のっていました。
まぎらわしいことに、小五郎は和田家に伝わる名跡で、
彼は五男坊ではありません、長男なんです(笑)。
ですから小五郎というのも通称。
他に、貫治、準一郎とも名のっていましたし、
志士時代はこれに偽名が増えますから、ややこしい。

新堀松輔、広戸孝助など、その偽名の数はゆうに10以上。
その後、慶応二年(1866年)に藩主毛利敬親から、
木戸姓を賜り、
さらに戊辰戦争終結後の明治2年(1868年)、
東京招魂社(靖国神社の母体)の建立に尽力し、
同志たちを追悼する意味で、
諱(いみな)の孝允を、公的な名前とするようになります。

ですから、その折その折に、
このお人がなんと名のっていたのかを、
正確に検証しようとすると、
かなり骨が折れるように思います。
ああ、歴史小説家やシナリオ書きは大変なんだなぁ。
さらに雅号までも複数おもちで、
木圭、猫堂、松菊、鬼怒、広寒、
老梅書屋、竿鈴、干令などがあるそうです。

こうなると、
機動戦士ガンダムシリーズの「シャア・アズナブル」の、
名前の変遷も真っ青ですね。(どんな例えさ…)

桂小五郎は、他の変節していった志士とは違い、
最期まで理想を貫こうとしたために苦悩していたようです。
そのために、随分と命を縮めてしまったのではないでしょうか。
かつての同志が二つに割れて、
闘うことになった西南戦争の最中の明治10年、
西郷と大久保の関係を憂いながら脳病でこの世を去ります。
そのあまりにも多い様々の名前たちとともに。
享年45歳。

思えば、幕末の動乱のころの、
無理がたたったのかもしれませんね。
余談ではありますが、少年時代はかなりいたずら好きで、
そのいたずらが元で、
額には三日月型の傷が晩年まで残っていたそうです。
やはり、シャアかしら(爆)。
というより、ますます京都じゃ目立ち過ぎだったろうよ~。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

ユアーズ

コンビニも深夜営業のファミレスもなかったころ、
青山ユアーズというスーパーマーケットが、
青山通り(ルート246)で深夜3時まで営業していました。
(1964年頃~1982年)
いまもあれば、紀ノ国屋とも成城石井とも違うコンセプトで、
存在感ある店に成長していたかもしれないのですが、
時代の変貌の前に姿を消していったのです。

アメリカにそのままありそうなスーパーを模したユアーズは、
ディズニーランドのように、
回転バーを押して入る斬新な入り口で、
その後の買い物をワクワクさせる予感めいていました。
そして、なによりも一風変わった品揃え。
キャンベルの缶があたりまえのように並び、
見たこともない 野菜が揃っていたのです。
当時オンエアされていたグラハム・カーの
世界の料理ショーでしか、
見たことのない野菜があるのですから。
ユアーズがあった時代背景を考えると、
経営としてはかなりの冒険であったと思います。

レジ横のコーヒースタンドでは、
自家製ドーナツやホットドックが食べられました。
考えてみると、横文字の冷凍食品や缶詰は、
アメリカへの憧れがピークだった時代の産物に他なりませんが、
すべてがホンモノというところにこだわりが見えます。
七面鳥のまるごと冷凍の固まりが買えるところは、
いま現在でも限られているはずですから、
その斬新さがわかるでしょう。

青山では、インベーダーゲームが真っ先におかれた店でもあり、
当時小学生だった私はやりたかったのですけれど、
青南小学校から禁止令がでてしまい、
やっている大人を眺めているしかありませんでした。
そんなところでも時代を先取りしていたのですが、
その分、時代とともに燃えつきたのかもしれませんね。

いまは取り壊されて違うビルが建ち、
地元の人間にも記憶が薄れている存在ですが、
これからの時代の先を読もうと思ったときに、
この店が目指していた感覚が思い起こされるのです。
いまこれからの先進性を考えるとするなら、
そのコンセプトはなんなのだろうか?
そんな自問をするときに、この店の空気感を思いだすのです。

テーマ : 青山
ジャンル : 日記

カブト愛

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現在、ふつうの家庭で飾る「兜」の形状は、
室町時代のものをその原型としていて、
中央には竜や獅子の「前立て」を配し、
ガンダムのようにV字型に「鍬型」があるものが一般的です。

ですが、歴史上の人物たちが実際に使っていたものは、
もっとバラエティーにとんだものであり、
各武将の個性や主張にあふれたものでした。
伊達政宗が三日月型の前立ての兜を使っていたのは有名で、
あれはゲーム中や時代劇だけの架空のお話ではありません。

そんな個性あふれる兜のなかでも、
決定的に個性的なのが、これ。
直江兼続(なおえかねつぐ)の兜だといっていいでしょう。
上杉家の家老として、
天下を握る寸前の徳川家康と渡り合い、
上杉家を守り切って家康にも賞賛された男です。

その直江山城守兼続が兜にこらした意匠は、
中央の前立て部分に「愛」の一文字。
この愛には、いまでいう愛の概念とは違うという話もあり、
愛染明王の愛の字だという説もいわれています。
ですが、いずれにせよ、
この兜に勝るインパクトのものは、なかなかないかもしれません。
だって、兜のかぶる部分より「愛」の字が大きいんですもの。

この兜は現存し、山形県米沢の上杉神社に納められています。
余談ではありますが、
直江兼続には三つ年上の奥方以外には、
側室や浮いた話はなかったとされています。
それも愛の信念??
だから、愛の概念はいまとは違うんだってば(笑)。

さて、この愛の前立ての兜と甲冑の、
家庭用レプリカがあるそうです。
お子さんやお孫さんへの贈り物にいかがでしょうか?
絶対、子供には最初は嫌がられる気はしますが、
こういう個性も大事だと思いますよ。




※直江兼続胸取二枚胴写
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/117806/120143/

テーマ : 工芸
ジャンル : 学問・文化・芸術

シノビリカ

ひとまず、タイトルの意味はあとにおくとして、
今回は新選組のお話です。
私たちが持つ新選組のイメージを形作ったのは、
何人かの先人の史実としての歴史研究と、
作品としての歴史小説の力だと思います。

史実としての文書としては、
とくに杉村義衛翁の浪士文久報国記事や新選組顛末記は、
絶対に外せないところ。
なにせ、ご本人が語ることなのですから。
そう、杉村というのは新選組二番隊組長、
永倉新八、その人なのですから。
永倉が亡くなったのはなんと、大正四年。
明治をすら生きながらえて、亡くなるその日まで、
新選組の再評価のために残した功績は大きいのです。

とはいうものの、永倉さんが残した口伝は、
ご自分がかなり美化されておられるようで、
他の文書と整合性がない部分もあるのですが、
それは愛嬌というものではないでしょうか。
(また、官軍の追求がまだ残っていたために、
他の者の遺族への迷惑を避けるため、
自分が関わらないことも自分のこととして語ったという見方もあります。)

一方、創作としての新選組作品は、
いまの世の中には綺羅星のごとく存在しますが、
必ず触れるであろう作品はだいたい決まっています。
一つは、子母澤寛の新選組始末記。
これはまだ、好青年「沖田さん」に遊んでもらった子どもが、
老境ではあるものの存命中で、想い出を語れる頃だからこその作品。
さまざまな幕臣の生き残りなどからの直接、
間接の聞き書きを元にして、
新選組に集ったものの想いをまとめた大作になっています。

ただし、公正な史実として考えるには、
子母澤寛氏の立場は、どうしても新選組に優しいのです。
それは、ご自身の祖父が、
幕軍として上野の山で戦った彰義隊の一員であることと、
無関係ではありません。
(十番隊の原田佐之助も参加していたのはご存知ですよね。)
まず、どうしても語りたい想いのほうが先にある、
ということがいえるように思えるのです。

そして、もう一冊。
新選組の小説といったら決して外せないもの。
それは鬼の副長、土方歳三のイメージを決定づけた、
司馬遼太郎の「燃えよ剣」です。

司馬遼太郎という名前はペンネームで、
中国の歴史家、司馬遷に「遼(はるか)」に及ばないという、
謙遜でつけたとされていますが、
なかなかどうして、かなりしたたかなお方。
もしかしたら、そんな謙遜は微塵もなかったかもしれません。
というのも、司馬遼太郎こそが反骨精神の持ち主。
歴史上の人物に姿を借りて、
ご自分の想いを表現する手腕に長けていたといえます。
だいたい、 自分の好きな人しか書かないんだから、司馬さんは(笑)。

司馬遼太郎の真骨頂は、小説に創作を織り交ぜるのがうまかったこと。
彼の文体の特色として、
ストーリーのなかに急に蘊蓄が混ざってきたりするのですが、
事実と創作を組み合わせることで、
さもあらんということを思いこませるのです。

小説「燃えよ剣」は、史実ではありません。
土方歳三の三多摩時代のライバルとのエピソードなどは、
完全な創作です。
そもそも、ライバルは架空の人物なのですから。
でも、完全な虚構かといえば、それも違う気がします。
キッチリと周囲を事実でかためることで、
土方という男だったら、きっとこう動くはずということを、
誰もが納得する形にしたのが、司馬遼太郎の技量なのです。

土方歳三が「史実」として、
俳句を詠んだことは知られていますが、
燃えよ剣のなかにも、
土方と俳句のエピソードが多々織り込まれています。
そのなかでもヒロインとの別れを象徴する話のおりに、
印象的な一句が詠まれています。

「シノビリカ
 いづこで見ても
 蝦夷の月」

かつて、栗塚旭主演のテレビドラマ「燃えよ剣」では、
「シノビリカ」がサブタイトルにもなっていますから、
覚えておられる方も多いと思いますが、
シノビリカは函館に転戦した土方が、現地で覚えたアイヌ語で、
「ひどく佳い」という意味であると説明されています。
ところが、土方歳三が遺した豊玉俳句集のなかには、
この句はどこにも書かれていないのです。
そこに司馬遼太郎の「作家」としての思惑と、凄さがみえます。

事実が史実として残るということこそが、
正しいとか正しくないという以前に、
私たちが見ているものは、
その時点での誰かの想いを土台にしているのです。
それは、当時は不遇に扱われていた新選組への想いでもありますし、
ここから明日を作る、私たちへのメッセージでもあるのです。

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

北辰社牧場跡 @ 歴史探訪・榎本武揚の夢(九段下~飯田橋)

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日本の国を二分した最後の内乱・戊辰戦争が、
ある意味では「土方歳三」の戦死をもって函館で終結した時、
蝦夷地に描いた「北海道共和国」の夢も、
終わったかに見えましたが、
その戦いで生き残った旧幕府方の榎本武揚や大鳥圭介が、
その後に行ったことに真価があるのだと思うのです。

彼らが蝦夷地に描いた夢の一つ「牧場」は、
明治政府に赦されて政府の仕事をまかされるようになって、
実現する運びとなりました。
飯田橋に榎本武揚と大鳥圭介が共同で開いた牧場には、
「北辰社」という名がつけられ、
日本の酪農の普及の魁となりました。
最盛期には50頭もの乳牛が、この牧場にいたそうです。

いま、牛乳を飲むことは当たり前になっていますが、
それが当たり前ではなかった時代、
榎本武揚という傑物の見ていたものは、
遠い遠い現代の日本だったのかもしれません。
彼の開いた牧場の跡には簡素な標柱のみですが、
牛乳を飲んで体格の変わった日本人という結果に、
ほくそ笑んでいることでしょう。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

神道無念流練兵館跡 @ 歴史探訪・靖国神社内(九段)

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神道無念流の斎藤弥九郎が、
俎橋付近(九段下)に開いた道場が、
1838年に焼失したため、
現在でいう「靖国神社」の境内にあたる場所に再建され、
幕末のスターたちを鍛えあげる場所となりました。
それが「練兵館」です。

門下生の中でも、とくに桂小五郎(木戸孝允)、
高杉晋作といった有名どころは誰でも知っているでしょう。
桂小五郎などは師範代をつとめるほどの腕だったようです。
小説やテレビなどでは逃げ回っているだけのようですが、
それは自分の力量を、
しっかりとわきまえていたからだと言えるかもしれません。
凄腕だったとしても、乱戦では何が起こるかわかりません。
その用心深さこそが、政治には必要なことでもあったのです。

千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、
桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とならび、
幕末三道場と呼ばれています。
玄武館は「技」、士学館は「位」、
そして練兵館は「力」と称された道場だったようです。
ふと、技の1号、力の2号、
力と技のV3なんて言葉を思いだしてしまうのは私だけじゃあるまいて(笑)。
それは、余談。

のちに新選組隊士として、
彼らと戦うことになる永倉新八は同じ流派ですが、
練兵館主斎藤弥九郎の師匠が開いた撃剣館の門人でした。
もしかしたら、
歴史には浮かびあがっていないところで、
様々な交流もあったのかもしれません。
その時代、道場同士の交流はいろいろとあったようですから。

私たちの知っている史実では顔をあわせていない者たちも、
案外、知った者同士だったりすることを想像すると、
また違う物語が見えてくるように思います。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

高野長英の隠れ家 @ 歴史探訪

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幕末という激動の嵐が訪れる少し前、
外国の事情に通じ、
幕政への批判をくりかえし、その末路とを予言していた者がいました。
高野長英、 幕末前夜の蘭学者の一人です。

幕府は外国思想への弾圧を強化しましたが、
その弾圧の最中、蛮社の獄で捕らえられた長英は、
自ら小伝馬町の牢に放火し脱獄したとも言われています。
そのあたりは、学者というより活動家そのもので、
教科書などで鎮座しているお姿からは考えられないほど、
物騒な方でもあったようです。

その後、なんとか江戸を逃れるも、
手配書の回った江戸に再び舞い戻るため、
顔を焼いて人相をかえたのは、
強固な信念のなせるところだったのでしょう。
人の命も犠牲にしたかわりに、
自分の命もかけていたということです。

彼が沢三泊という町医者を名乗り潜伏し、
大捕り物の末に最期を迎えた地には、
今、めだたない碑だけが残っています。
青山百人町の彼の屋敷跡には「青山スパイラル」が建ち、
表参道ヒルズとともに今日も賑わっているのです。
酒が好きな豪傑肌だったといわれる高野長英。
きっと、今の世の青山も面白がっているかもしれません。

歴史の足跡は、案外近くにあるものなのです。
まして、幕末は昨日のようなもの。
わずか数日前にも、山口出身の首相が「会津」での演説の際、
先輩の所行を謝罪した旨がニュースになっていましたが、
戊辰戦争の末に薩長が会津でした事は、
そんなに簡単に消えないしこりなのも事実だったりするのです。

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

【土方歳三、参る】

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まわりくどいことになるので、
今回は土方歳三が誰かまでは説明しません。
ご存知のはずという前提で書かせていただきますが、
知っていようが知らなかろうが、
この土方歳三の雰囲気は「のほほん」です。

もはや、飄々としているのも通り過ぎていて、
なにかを超越した感じがします。
近寄ると、のほほんと音がしそうな気がするくらいに。

戊辰戦争の折、土方をふくんだ榎本一行は、
北海道ではなくてハワイを目指す計画もあったそうですが、
もしハワイに行っていたなら、
残された肖像写真はこんなだったかもしれませんよね。
この土方さんは、
都内のどこかの商店街で、
今日も夜にのほほんとされています。のほほん。

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

雨の沖田忌

いうまでもなく、今日は沖田総司の命日。
お墓のある麻布は雨。
なんかいつも5月30日は、雨のようなのは気のせい?(笑)

少し前の、歳三さんの命日には、
命日とかいっていられる場合ではなかったので、
何事も平穏無事が一番だな~と思います。

今日は、至極あたりまえに平凡な一日でした。

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

さんれんたいのあきち

小学生の頃、うちの街はずれには、
「さんれんたいのあきち」と呼ばれる広場がありました。
学校や家とは反対方向だったし、少し遠かったのだけれども、
結構な広さだったので、よくみんなで遊びに出かけました。

その当時は、女の子も男の子もあったもんじゃなくて、
ドッジも、缶蹴りも、ドロケーも混合でやってましたよね。
プラバットでの野球なんかも、強打者は女の子軍団だったりして。
だいたい、キックベースもケリが強いのは女の子だし(笑)。

それでも、男の子たちは男の子だけの世界で、
まるで男の子であることを誇示しようとしてるみたいに、
隣町の小学生との領土抗争というモメゴトに夢中。
簡単にいえば、ケンカ…ともいいますケド。
こちらの街と隣町の境界にあるもんだから、ありがちな話です。
空き地には、暗くなってもわーわーと声が響いていました。
楽しい声も、そうでない声もふくめて。

この「さんれんたいのあきち」が、
陸軍歩兵第三連隊駐屯地跡という、
戦争の記憶の一つだったと知ったのは、
それからかなり、後になってからのことでした。
今は様々の記憶を押し流したかのように、
拡張された道路や公的施設の下になってしまいましたけれど、
「さんれんたいのあきち」で遊んでた、楽しい想い出は忘れないからね…。

テーマ : 軍事・平和
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

MAYA

  • Author:MAYA
  • 年齢・性別不詳
    生息地・東京空ノ下
    山羊座O型
    左利き

    skill:
    作文・おえかき
    ・料理

    love:
    南青山
    中川勝彦
    ペントハウスの夏
    ユキンコアキラ
    チキンライス
    崎陽軒のシウマイ
    秋山奈々
    声優
    Sauternes

    dislike:
    B型異性の一部
    かまどうま
    自動改札
    ツナ缶
    マヨネーズ
    シャンパーニュに苺
    鰻重に奈良漬


    元々はリアル環境に諸事情をかかえていたときに気分転換で匿名ではじめた個人的な日記ブログでした。MAYAというのは中学以来の一部でのニックネームですから、おわかりの人にはすでに誰だかわかっていたはず。もう、実名にしてもよくなったのだけれど、ネットでの交流がはじまっていた方もおり、複雑怪奇なことになりそうだったのでこのブログDARK HEAVENでのハンドルはMAYAで通すことにしました。プロフィールにあるようなよくわからないシュミの性別不詳、年齢不詳の「キャラ」として楽しんでもらえれば幸いです。時々、性別や年齢がわかる発言をしているのは愛嬌ということで。リンクやトラックバックはご自由にどうぞ。拍手は泣いて喜びます。こんなのでよければ仲良くしてね。
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